読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

わたしのおもちゃ箱。

しっちゃかめっちゃかな、わたしの頭の中。

謙虚さは時代遅れなのか? 〜「謙虚」という言葉を考えてみる〜

おはようございます、Sakiです。


f:id:crscnt02:20160420101904j:plain


私はここ最近、やはりあまり寝くならない時期のようです。笑

そうかな〜とは思っていたのですが、今はインプットよりアウトプット期間のようですね。

(ちょっとインプットしたな〜と思う時は眠くなりますが....)


とりあえず、考えたことを出していこうと思います。


最近、「謙虚さはいらない」という言葉に対する、自分の結論が出たので書きます。

自分に謙虚さがあるかどうかというのは棚に上げています。

長文です。


謙虚さはいらない?


ここ最近自分でブログを書くようになった関係もあり、いろいろな方のブログを目にするようになりました。

自分がその方面に興味があるので、心理カウンセラーやセラピストの方のブログを見ることも多いです。

個人で開業、アメブロでも多くの読者さまを集めているも多いです。


最近よくあるのが、自分を好きになる、自信を持つ、ということです。

(それはそれで正しいと思っています。個人的には自分を認めるという解釈をしています。)


その中で気になったのが、たま〜〜〜〜〜に見かける「謙虚」に対する否定の言葉でした。

ちょっともや〜っとして気になっていたのですが、結論から言うと、謙虚さはやはり必要だということにたどり着きました。


というよりは、「謙虚」ということの捉え方の違いかもしれませんが......。



そもそも「謙虚」とはどういうことか?


日本では昔から「謙虚は美徳」といわれてきました。

かくいう私も、「謙虚に生きなさい」と言われてきました。



言語化するために、ネットの辞書で調べてみました。(すみません、手元に国語辞典がなかったのです....)


  • 控え目で、つつましいこと。 へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。(goo国語辞書)

  • ひかえめでつつましやかなさま。自分の能力・地位などにおごることなく,素直な態度で人に接するさま。(weblio辞書)


ふむふむ。


ここで引っかかりそうなのは、

「控えめで、つつましい」「へりくだる」


う〜ん、難しいところですね。

インターネットで調べても様々な解釈があります。


以下、その様々な解釈を読んだ私の、超個人的見解です。



私の理解する謙虚さとは。


「自分の分を知ること」

「素直なこと」

「感謝を忘れないこと」



謙虚と卑屈。


よく一緒に語られるこちらの言葉。何が違うのか?


自分にしっかり自信をもっているか否か、ということだと考えています。

例を挙げて、「すごい」と賞賛を受けた後、「いえいえ、私はまだまだです。」という時の心を考えてみます。

それぞれを分けて考えてみます。


* 謙虚な人は自分の程度を知っている。自分のできるところ、できないところ、知っていること知らないことも認めている。できるところ、知っていることには自信をもっている。

自分に自信のある(一部にしろ)。が、自分にまだまだできないところはいっぱいあるので、相手に敬意も抱いている。


* 卑屈な人は自分を知らない。自分に自信がない。

本気で、自分はダメだと思っている。自分を低くし、否定する。

(それが、結果的に、自分を本気で「すごい」と評価した相手に対する侮辱だと気づかない。)



たとえ、答えが同じ「いえいえ、私はまだまだです。」という言葉でも、乗った心にはこれだけの差があるのです。

(ちなみに、自分の利を求めて「謙虚さ」を偽ること=媚びへつらうです。論外です。)


謙虚の反対語としての傲慢。


謙虚さがいらないなら、反対としての傲慢さは許容されるのでしょうか?

自分の能力や、特に自分の生き方をもって商品としている人は、しばしば「傲慢」とのように言われます。

  • おごりたかぶって人を見くだすこと。また、そのさま。(goo国語辞書)

もちろん人を見下すことは論外なので、「驕る」ということに焦点を当てたいと思います。

  • 地位・権力・財産・才能などを誇って、思い上がった振る舞いをする。(goo国語辞書)


正直、これは人の受け取り方ではないかと思います。

特に自分の商品を自信をもってPRするという意味では、形をもったモノと一緒なのですが、それがなぜか「自分」や「目に見えない能力」だと驕っているように見られたりもします。


個人的には、


  • 自分を知り、自信のあるところは恐れずPRする。

  • もちろん、褒められたら「ありがとう!」「でも自分はまだまだだから」と、どんどん(その人からも)学ぼうとする。

  • 他の人の意見も必ず一度は受け入れる、咀嚼して必要かどうか判断する。

  • いつも周りに感謝を忘れない。


なんて、ある意味究極の「謙虚さ」だとも思います。


ただ、「控えめ、つつましやか」でないという理由で、受け入れない方もいるでしょうが....



「謙虚」とは微妙なバランスの上に成り立つもの。


調べてわかりましたが、「謙虚」は沢山の言葉「卑屈」「傲慢」「横柄」「遠慮」etc...と沢山の言葉と並べて語られています。

というのも、「謙虚」が心のあり方を示すものであり、なかなか説明しづらいものなのでしょう。


また、「謙虚」は「和」の国で育ったものです。

「個」が出てきた日本では、ずれが生じる部分もあるのかもしれません。


ブログで「謙虚さはいらない」と書かれている方は、【「和」の日本の「謙虚」】に少し違和感を感じてそう言っているのかもしれません。



それでもやはり「謙虚」は大事。


もし「控えめだ、つつましやかさ」ということに違和感を感じていても、その大元を考えれば納得できるもののはずです。

「自分の分を知ること」

「素直なこと」

「感謝を忘れないこと」

自分を知っているので、それ相応の振る舞いをしている。

自信を持つべきところはもっている。賞賛も受け止める。

できないこと、知らないことがいっぱいあると知っているので、素直に学ぶことをやめないし、誰しにも敬意を持ち接する。

自分一人だけでは何事もなしえないことを知っているから、感謝をする。


謙虚さは必要です。


表面的なものではなく、謙虚さということの心を考えればいい。

そうすれば、謙虚さが時代遅れでもなく、いらないわけもないことはわかるはずだと、思います。




Saki